判决例

◎推定家督相續人廢除請求事件
(原告)東京市麹山區三年町二番地華族佐野常氏被告同市同區同番榮華族佐野米子間の明治三十四年(タ)第一六六號推定家督相續人廢除請求事件に付き東京地方裁判所第一民事部裁判長横村米太郎判事三宅徳業北條元篤の三氏判决する左の如し
(主文)原告の請求は之を棄却す訴訟費用は原告の負擔とす
(事實)原告は被告が原告の推定家督相續人たる資格を廢除すとの判决を求むと申立て其演述する事實の要旨原告は明治十三年中嫡子常實病死の不幸に會せしに原告は齡既に耳顧に達し且つ多病の質なるに常實の弟常羽常砥常尾常兒等は年尚ほ幼少にして家事を託し得ざりしを以て明治十四年九月中當時の法規に從ひ丹羽の石金の次男常樹を以て次女久米千代の婿養となし之れを原告の養長男即ち嗣子と爲したり但し實子常羽以下に對しては別に廢嫡の手續を爲さず單に相續順位のみ養長男常樹の下に置きたり然るに常樹は數年の後多病にして原告家の家政を執るに耐へざるに至り自ら進で退隱靜養を欲せしを以て明治二十七年十月二日願濟の上廢嫡し翌二十八年七月廿三日原告家より分家の手續きを爲したり尤とも常樹の實子たる長女被告米子次女仲子は其當時既に生まれ居りたるも故ありて之を常樹の籍に入れしめず依然原告の家族と爲し置きたれども原告の推定家督相續人は常樹廢嫡の當時より原告の孫女にあらずして實子常羽なることは原告及親族は勿論官内省に於ても認められし處にして孫女被告は明治三十年十月九日有馬頼多の妻となり同人の家に入れり然るに民法の實施せらるゝに至り原告の法定推定家督相續人は實子常羽にあらずして常樹の次女仲子と定まりしを以て原告は大に驚き明治三十三年七月仲子に對し推定家督相續人廢除の訴を提起し同年九月十日右廢除の判决確定したるを以て原告の推定家督相續人は復常羽となりたるに其後明治三十四年七月三日被告米子は有馬頼多と協議上の離婚を爲し原告家に復籍したるに依り原告の法定推定家督相續人は被告米子となれり今や原告は齡既に八十歳の高齡に達し老衰事に耐へざるのみならず常に疾病の患あるを以て何時相續の必要を生ずることあるやも測るべからす然るに既に萬般の家政を處理する實子常羽は相續人にあらずして突然復籍したる被告を相續人となすときは一家の秩序甚しく動亂し原告家の不幸實に大なるものあり加之原告は伯爵にして華族に對し原告家は現に華族令の支配の下にあり華族令第三條に依れば女子は爵を襲ふことを許さず同第四條には有爵の戸主死亡の後男子の相續すべきものなきときは華族の榮典を失ふ可き旨の規定あり故に若し原告にして此侭死亡せんか原告家は當然爵族の榮典を失ふべし是畏くも華族授爵の詔敕に「卿等益々爾の忠貞を篤くし爾の子孫をして世に其美を濟さしめよ」とある聖旨に悖るものなり然らば原告は被告の配偶者として直婿養子を迎へ之をして爵族を襲はしめんか嗣子として適當の人物は今俄に之を得ること難しされば今日に於て公は以て聖旨を奉戴し私は以て佐野家の幸福を圖らんとせば被告を廢除して常羽をして原告の推定家督相續人たる地位に復せしむるの外他に途なし是原告が親族會の同意を得て本訴を提起したる所以なりと云ふにあり證據として甲第一乃至五號證を提出したり
被告は原告の請求通り判决あらんことを求むと申立て其演述する事實の要旨は原告主張の事實は總て相違なし被告は不幸にして原告家に復歸するの止むを得ざるに至りしと雖ども之が爲め原告の推定家督相續人たるが如きことあらんとは毫も思ひ設けざりき被告は婦人の身固より今日の佐野家を繼承して能く〓理の任に堪へ得べきにあらず而して尊長たる祖父常民が優渥なる聖旨を蒙り華族の榮典に浴〓しに係はらず僅に被告の存ずるが爲め華族たる佐野家茲に斷絶して永く聖恩に奉答するの機會なきに至るが如きは常に被告の欣喜して應ずる所にあらずと云ふにありて甲號各證を認めたり
(理由)明治九年六月大政官指令第五十八號及明治十年十二月大政官指令第九十九號に依れば老病等の士族は實子孫あるも幼少なるときは養子をなし家督相續人と爲すことを得たりしを以て此場合に於て家督相續が民法施行前に開始したるときは該養子は其縁組前に生まれたる實子に先ちて相續を爲すことを得たりしと雖ども民法施行後に開始すべき家督相續に付ては前示指令は之を適用することを得ず民法の規定に從て相續を爲すべき者を定めざる可らず何となれば何人か家督相續を爲す權利を有するかは相續開始の時に確定すべきものにして其開始前に在つては何人も未だ相續の權利を取得せざればなり從て推定家督相續人の何人なるやを定むるにも民法施行後に於ては民法の規定に依らざるべからず今本件の事實を見るに原告は明治十四年九月二十六日其の實子常羽(明治四年七月生)常砥(明治八年十二月生)常尾(明治十年十二月生)常兒(明治十二年十二月生)あるに拘はらず前示指令に基き常樹を養子とし家督相續人と爲したるものな〓〓〓〓一號證及甲第三號證に依り明かなるが故に民法施行後の今日に於ては常羽にして廢嫡せられさる限りは民法第九百七十條の適用上同人を以て原告の推定家督相續人と爲さゞるを得ず而して前示指令に基き養子をなし家督相續人と爲したる場合に於ても之に據りて直ちに實子廢嫡の效力を生じたるものにあらず單に養子が相續順位に於て實子に先つの效力を生じたるに過ぎざりしを以て前段説明の如く原告が常樹を養子とし家督相續人と爲したるが爲めに常羽は廢嫡せられたるにあらず故に原告の推定家督相續人は常羽にして常樹は假令廢嫡せられざるも原告の家督相續人と云ふを得ず從て常樹が廢せらるゝも其長女たる被告(常樹が明治二十七年十月二日廢嫡せられたること被告が常樹の長女なることは甲第一號證に依り明かなり)は民法第九百七十四條に依り常樹を代位して原告の推定家督相續人たる地位にあるものと云ふを得ず因て本件廢除の請求を不當とし訴訟費用に付ては民事訴訟法第七十二條第一項を適用し主文の如く判决す(十一月八日判决言渡)